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集団的自衛権について


NHKの特番で集団的自衛権について討論していた。

集団的自衛権という言葉の意味を知っているか?の

アンケートで、はっきりした数字は忘れたが、

知っている人、知らない人、共に40%台で、

わずかに知らない人が2~3%位多かったと思う。

実は恥ずかしながらも僕は2~3%多い方に属していて、

言葉としては認識してたけど、意味としてはその番組で初めて知ることになる。

番組の説明では自分の国が他国に攻撃された時に、

自国で防衛するのが個人的自衛権で、

同盟を結んだ国が他国の攻撃を受けた時に、

防衛の手助けをするのが集団的自衛権というようなことを説明していた。


他国のミサイルが同盟国を襲った時に日本が打ち落とすのはアリかナシか?

他国が同盟国を狙う戦闘機を打ち落とすのはアリかナシか?

という賛否も問われているらしい。

(説明はうる覚えなので解釈の違いや表現に誤りがあったらごめんなさい。)



日本の場合の同盟国はというと、例の世界番長アメリカになるわけですが(笑)

その特番では同盟国であるアメリカが他国に攻撃を受けた時に

日本は集団的自衛権を発動するのか?

という問いに賛否分かれての議論になった。

その問いに僕が一番最初に思ったのは、


① 現状のスジ的には同盟を結んでアメリカが助けに来てくれるのに

同盟がピンチの時にこっちはなにもしないというのはスジが通らない。


②自衛というのは戦争とはまたちょっと違う。でも、関われば戦争に

巻き込まれる可能性はある。けど、ミスミスこのミサイルを見逃して

たくさんの市民が犠牲になるんなら、うちらの対空ミサイルで撃墜したっても

いいんやないやろか?という考えがよぎり、

でもそれは同盟国のアメリカだけに対することだけではなく、

アメリカが敵国に撃ったミサイルさえも打ち落としたいという思いであり、

結局、僕は人命第一主義なんやなぁと思った。


ん?っていうかそもそも、いじめっ子の世界番長アメリカが

ほとんどすべての戦争ってふっかけてないか??

自衛権なんて被害者的な言葉使うから正当防衛的なイメージがあったけど、

今のアメリカに集団的自衛権を発動するのって、

間接的に戦争にかかわってるってなもんじゃなく、

かなりの直接的な戦争加担なんじゃないかと思う。


例えば敵が10000発のミサイルを現時点で持っていて、

アメリカが対空ミサイル8000発、日本が2000発持ってるとして

すべてのミサイルを迎撃できたとすれば、きっちり相殺できるわけですが

仮に日本が集団的自衛権を発動する気がなければ、

アメリカは2000発分のダメージを受けるか、

足りない分の予算や人手などの労力や資金などを回さなければいけなくなる。


さらに例えればK-1のリングでアメリカ選手と敵の選手が戦うことになって、

日本はアメリカの黒子としてアメリカの左右のどちらかの脇に立って

攻撃は一切しないけど、パンチやキックは打撃ミットで受けてるようなもんで、

それってアメリカは基本的に片側のキックやパンチのみ警戒はゆるくできて、

その分攻撃に専念できるし、相手の攻撃を腕やスネなどできっちりブロック

して急所をはずしていたとしても、ダメージは蓄積していくわけで、

日本はそのダメージの一部をカバーする役割をしているわけだから、

それはもう明らかにその試合という名の戦争に日本は加担してるわけですよ。




結論  
   
戦争放棄国である日本は戦争放棄国同士で

相手の本土が攻撃された時に限り、敵国からの防衛を協力するのみの

集団的自衛権しか成立しないんじゃないでしょうか?
# by mipo-chiro | 2008-01-18 01:45 | ニュース・評論

って、本当はぼくらがマインドコントロールにかかっちゃったりしちゃったりしてないか?




オウム真理教の出家信者だっただろうか?

ワイドショーの中継でレポーターが早足で逃げ去ろうとする出家信者を

追っかけながら「洗脳されてるんじゃないですか?」

「マインドコントロールにかかってるんじゃないですか?」

とマイクを向けると、触れてはならない琴線に触れたのだろうか?

無視を貫こうという意思を現わしていた早足を止めて

信者はおもむろにこう言い放った、

「マインドコントロールにかかっているのはあなたたちなんじゃないですか?」

その様子を見ていたスタジオの司会は失笑し

ゲストコメンテーターは「逆切れ」だとヒステリックな笑みを浮かべていた

僕も初めてそれを見た時は信者のしていたヘッドギアと呼ばれる

大げさに電気系統の配線が入り乱れた帽子というか頭に巻くものが

ヒーロー物に出てくる悪の組織が捕らえてきた人間を改造人間にするために

無理矢理かぶせるような小道具のようなうさんくささも手伝って

一緒になって笑っていた。

でも、何年かして彼らの立場になって考えてみると、

彼らがマインドコントロールにかかっていようがいまいが

自分は正常だと思っている僕らだって

軽いマインドコントロールな様なものにかかってるんじゃないか?

という意味合いでならわかるような気がする。

普通に平和に暮らしていて自由にいろんなことを自分の意思で

選んでいると思っている我々でさえ

実は軽いマインドコントロールの様なものに

かっかっているんじゃないかとこのことを思い出すたびに思う。

たぶん、彼らの言い分はこうじゃないかと勝手に解釈してみる。

「あんた達は私の信仰している宗教の教祖に洗脳されていると言う。

でも、それは私が自ら選んで真剣に信仰しているだけ。

あんた達は信仰しているものをよく知りもしないで、

見てくれや噂だけで洗脳だの変だの決め付けて

世間からつまはじきにしてるじゃないか」

こんな感じじゃないだろうか?

物事の本質も知らないで偏見をもった見方をする。

少数派であり常識からはずれていると誹謗、中傷する。

そうゆうのも結局、自分の自由な意思で選んでいない

マインドコントロール的な価値観じゃないのか?と

そうゆう意味ならそれは一理あるんじゃないかと思う。



誰か一人が勝手に言い出して決めたことが新興宗教の経典だとしたら

みんなでいつのまにか決められていたことが常識という名の社会が

作った経典とは言えないか?



例えば、自分の住んでいる街に信仰宗教団体がやって来るでもいいし

火葬場でも墓地でもパチンコ屋でも核施設でもドンキホーテでもいい。

もちろん立地にもよるが住宅地近くにできるなら住民にとっては

騒音になるものや、自分たちにとって不利益になるようなものが

やってくるとだいたい反対運動が起こるわけで

運動に参加しろだの署名しろだの言ってくるわけで

もし、参加しないとか拒否すれば運動をしている人を中心に

感情的なしこりができるだろうし、村八分的な事も起こり得るのではないか?

その人達の中では同じこの街の住民であって、

自分達の身に明らかに不利益なことがふりかかって来ようとしているのを

必死になってふり払おうとしているのに何で協力できないんだ?と思うだろう。

でも、仮に来るもの拒まずをモットーとしていたり決して愉快な事態だとは

思わないけど宗教団体でしか生きる場所がなくてどこからも排除されて

受け入れられる場所がないというのは救いがないから

運動に反対するつもりはないけど受け入れないことには署名できない。

と考える人がいたとしても、その主張を果たして

まともに取り合ってくれるだろうか・・・?


その人の中では常識的であたりまえと信じきっていることでも

本当はそこには強制権はなくって人それぞれに考えや意見はあって

自由はあるべきで、そこに苛立ちやピリピリした空気や大勢での

プレッシャーなどをかけるというのは本当の自由と言えるんだろうか?

こうゆうのって町内会とかに限らず、

学校とか職場内とかサークルとか仲間内など

もっと身近にそうゆう強制的なプレッシャーみたいなものは存在していて

もちろん、もっとライトなものかもしれないけど

NOとは言えない空気をかもし出していて

それって子供のいじめとかハブリとかいうようなものより

直接的な暴力さえ振るわなければ正当だと思い込んでいるという

自覚や進歩がない分、タチが悪いいじめとは言えないだろうか?

軽いマインドコントロールな様なものにかかっているとは言えないだろうか?
# by mipo-chiro | 2007-08-18 00:24 | ニュース・評論

マインドコントロールについて

マインドコントロールにかかっている状態の人って、

心に邪念が無く(少なく)純粋な心が精神の大半を

占めている状態のような気がする。

マインドコントロールっていうのは僕の解釈では

かけた人が絶対的存在になり、その人の言うことや

命令が絶対的にまでなることかな。

自分の意思をも凌駕する絶対的な存在になってしまうことですね。

人は誰しも真剣だったり純粋な心を持つ反面、

スケベ心だったりジェラシーだったり他人を蔑んだりと

邪念を持ち合わせているし、

そうゆう誘惑や邪な気持ちと戦って生きている。

そうゆう自分のマイナスの面だけを見つめ続けていると

自分がすごく不純な気がしてくるけど

実はそうゆうマイナス面もあってマジメで誠実な面も

持ち合わせていて人は精神のバランスを保っているというか

正常化しているような気がする。



例えばボランティアをしたいという気持ちがあって

本気でボランティアするなら贅沢はやめて自分の全財産

を投げ打ってでもできるか?と考えると

ほとんどの人はそこまではできないと思う。

そして、そんな自分を中途半端で許せなく思う人もいるだろう。

でもそれは極論であって、あくまで極論とは想像してみて

自分をふるいにかけてみたり自分の気持ちを計ってみたり

するものであって、人に何かを施したりするのは

その時に自分のできる範囲とか気持ちでいいんだと思う。

それこそスモーカーでありながら健康オタクのような

自己矛盾でいいんだと思う。



それなのに純粋を求めるがあまり、有り金全部的な考えを

実行してしまうまで精神を追い詰めてしまうから

よくある新興宗教で脱退後、高いツボを買わされたなどとトラブルのだ。

マインドコントロールのかかったまま、なんの疑問も浮かばず

一生をまっとうすればその宗教やら教えやらが

たとえ嘘や真理とは逸れたものでもその人は救われたまま

完結するわけだ。(もちろん家族や友人は苦しむわけだが)


しかし途中でマインドコントロールから完全に覚醒すると

高いツボは救われた期間の高い対価だと

納得できない人だと話はややこしくなる。


人は誰しもジェラシーやスケベ心だったり

汚くて醜い面を持ち合わせているもの。

それらを潔癖的に排除しようとするのではなくて

そうゆう醜い自分を受け入れ、戦い

自分の許せる範囲まで減らしていくことが大事なのであって

ビフィズス菌とかオリゴ糖とか?善玉菌もあるわけで

なんでもかんでも除菌除菌でファブリーズ

すればいいってもんじゃなくって

自分で上手にバランスを保っていくことが大事なんじゃないだろうか?
# by mipo-chiro | 2007-04-30 02:33 | ニュース・評論

世界番長アメリカ

北朝鮮の核問題はもちろんのこと

核やら大量破壊兵器やらでしゃしゃり出てきて

仕切り、ヒーロー気取りでおれは正義、おまえ悪!

みたいなふるまいをするアメリカってどうやねん?と思ってしまう。

別に北朝鮮を肯定してるわけでも核を良しとしてるわけじゃあないんです。

ただ、単純に考えて人の事とやかく言ってるおまえ自身が

一番強力なもん一番たくさん持ってんちゃん?ってことなんです。

アメリカの言い分ってのは政治力学では当然の言い分かもしれないけど

僕は単純に考えて人の事とやかく言うのなら、

まず自分でやってみせろと思ってしまう。

自分がやってる(保有してる)のに他人に対してダメ出しするのって

ゴーマンで何様やねん!ってことやし、全くをもってスジや道理の通ってない

失礼で理不尽極まりない言い分ではないでしょうか?

オレ様の組織はでけえしシマ(国)の治安を守る為にゃあ

チャカ(核兵器)も必要。でも、おまえらチンピラに持たすと

危なっかしいからおまえらは持つ事ならん。

さあ、シメられる前に出さんかい?おう?

とまあこれ893やマフィアの考え方ですよね。

それをまた正義顔してヒーローぶるからホンマにタチ悪いと思いますわ。

自分らは成人だからタバコも酒もいいけど君ら小国は

未成年だから吸ってはいけない、飲んではいけない的な

子供扱いって失礼極まりないと思う。


本当に核を縮小する気なら、一番かっこええんは

まず自らすべて廃棄してしまえば潔しなんですけど

まあ、無理やろうから(笑)段階的でいいから自ら廃棄していって

他の保有国とも交渉していくってのでいいと思うんですけどね。

目茶な感じはするけどアメリカほど経済的にも軍事的にも突出していたら

核など持たなくてもそれほど発言力が低下することはないんとちゃうやろか

結局、核ってのは発言力のカードとしては強大な力を持ってるけど

自ら行使するのは追い詰められてヤケにでもならないと

なかなかボタンは押すことは躊躇われる極めて実用性のない武器だと思う。

いかなる理由があろうとも最初に核や生物兵器などを使うことは

全世界的にかなりの批判をあびるだろうし経済的圧力などを受け

長い期間、世界から取り残されるハメになるのではないだろうか。

特に非核保有国に対して原爆を落としたとなれば

これはもうかなりの非情でダーティなイメージはぬぐえなくなると思う。


ということは世界のスネ夫的立ち位置の我が日本ではあるけれど

唯一の被爆国であり経済力もある日本こそが勇気を出して

脱ジャイアンで核廃絶を提唱していってもいいんじゃないかと思う。


まあ実現はありえないだろうけど、まず米軍は日本から出てってもらうとする

そうするとほぼ丸腰なわけで最初はなめてかかって来る国も

あるかもしれないけどそれでも強気で核廃絶提唱やその他の国との

会議なども臆することなく強気で発言していく

情報のスピードは日々加速していってる訳で僕らの国が戦争をしていた頃と

比べて今は世界的に多様な角度からの情報を知ることができるし

まだまだ情報操作の不安や報道の仕方の問題はあるけど

世界の市民は真実に近い報道を早く知り自分の意思で

情報を吟味できるようになってきている。

そして市民の声や力は強力なものになってきている

例えば大統領とか首相とか与党が市民の納得できない

政策を実践すると次の機会に一票に響いてくるから

市民のニーズを読みながら配慮して動いていかないと

次の選挙で大統領のイスに座れないよ、野党落ちして

外野席からヤジるしかなくなるよってことです。


小泉元首相が総理になった時、派閥的には

圧倒的不利だったにもかかわらず、国民的に異常に人気があって

多くの議員が次の選挙を考慮してしがらみよりも自分の身を選んだ為に

総理になれた。というイメージです。


つまり、真剣に平和を訴える姿勢は個人レベルで評価されていくのではないか

ということです。その個人の声が各国でリコール権をも持つんじゃないか

というかなりスゥイートな考えかもしれませんが(笑)

でも、昔よりはそうなりつつあるし、理想でもあります。




今までスリ寄っていたものが一転して出ていってくれ(在中米軍)なんて

言われたら世界番長アメリカさんは顔ま赤っ赤にして怒りはるやろうなぁ。

もう、なにがあっても一切守ったらへん!と三行半つきつけられるやろうし

北朝鮮なんかも輪を掛けておちょくってきよると思います。

そこでビビらんと勇気を持って発言し続けることができるかでしょう

米軍撤退なんて夢のまた夢ではあるんだろうけど

それをやんなくても(やったほうが絶対説得力的には強いと思うけど)

日本はもっと強気で発言していくべきだと思うんです。

今の核をジョーカとしない、軍事力を頼りにしない

新しい発言力、イニシアチブをスローガンに

日本こそが世界番長アメリカに、全世界に向けて

核廃絶を訴えていくべきなんじゃないでしょううか?
# by mipo-chiro | 2007-04-25 19:56 | ニュース・評論

おもてなしの意識



「おまえら いらっしゃいませ教の信者か!」

とおもわずツッコミを入れそうになった。

初めてブックオフに入った時に思ったことである。

本屋や図書館、マンガ喫茶も含め、書物のある場所=静寂 

の概念を完全に否定するかのごとく

一人の店員から「いらっしゃいませ~!」の号砲があがると

次々とまわりの店員達に「いらっしゃいませ~!」は派生していく。

少しの沈黙を置いて、再び誰からともなく「いらっしゃいませ~!」

の雄たけびがあがると連鎖の「いらっしゃいませ~!」がこだましていく。

一人一人、張り付いてチェックしていたわけじゃないし、

各店舗や店員によってあてはまらないケースもあるかもしれないし、

最近ブックオフはご無沙汰なので様子は変わっているのかもしれないが

特にお客さんが入店して来たわけでもないのに「いらっしゃいませ~!」

と定期的にコールしている印象があって、店員達も作業しながらチラリとも

顔を上げずに機械的に叫んでいる。

これは明らかにブックオフという企業の戦略であり教育されたものだと思う。


戦略というのはおそらく活気のある場所にしたいということだろう。

本屋が立ち読みを嫌う傾向にあってマンガの単行本などに至っては

密封するなど立ち読みできない仕様になっていった業界の常識を破って

立ち読み→購入する気のない客は排除せず

サクラ要因として放置するというのは行列のできるラーメン屋は

入っとけみたいな大衆の心理に近いものがある。

人は人を呼ぶ法則を利用して活気やテンションに目をつけたのだろう。

テンションの高い場所では人が集まりやすいし、

自分もつられてテンションが上がり財布のヒモもゆるくなるという効果もある。

そこまではいいとして、問題なのが八百屋などの

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ!」と声を張ったり叩き売りなどで

場のテンションを上げ活気付ける手法と同じであるのに

八百屋のほとんどが我が店の為に自発的に行われているのに

対しブックオフのそれはやらされている感の強さは否めない。





僕の考える理想の接客とは店の上司やオーナの目が光っているから

客に対する不満を押し殺し、愛想良く笑みを浮かべるのではなく

お金を使う使わないにかかわらずすべての客に平等に心地よい空間を

提供できるように心がけている姿勢である。

売り上げよりなによりお客にとって心地よい空間であり

すべての客を気持ち良く店を後にしてもらうことを第一に考える。

じゃあ、客にとって心地良い接客とは?

というとそんなに凝ったサービスをする必要はない。

まず、心がこもっていること。

それとちょっとの心配りと店員自身が楽しそうに働いている姿だと思う。

本当に楽しんで生き生きとした姿でお客に接することは自然な笑顔を生み、

心地良い空間をつくるのではないだろうか?

そこにリピータが生まれる余地があるのだろうし

利害関係だけでなくコミュニケーションでありおもてなしだと僕は信じている。



ブックオフのあげあげ戦略自体はそうゆうカラーの古本屋があっても

いいとは思うけど物を売りさばくだけの戦略ではなくって、

そこで働く人や客、関わる人すべてに豊かな時間や空間生まれるという

哲学や教育があってもいいんじゃないだろうか?

これはブックオフだけに限らず多くの企業に言えることだと思う。

もっと接客におもてなしのプロフェッショナルな意識が欲しいものだと思うのだ。
# by mipo-chiro | 2007-02-27 02:58 | ニュース・評論